思い出し映画ノート

仁義なき戦い 広島死闘編

「赤い鳥逃げた?」、そして世紀末事件簿

「冒険者たち」

「アデルの恋の物語」

【 フル・メタル・ジャケット 】

キャリー

 

仁義なき戦い 広島死闘編

 1973年の5月だったと記憶している。姫路に来て3年目の初夏であった。映画同好会 のメンバーたちと明け方まで飲み明かして下宿まで帰り着き、ほんのひと眠りしてから、 電車に飛び乗り大阪は天王寺まで出かけた。天王寺公園の野外ステージでの2日間、「春 一番コンサート」がその目的だった。

 その頃はもう、日本語のフォークソングは、メディアに取り込まれてニューミュージックなるものへと解体しつつあったが、ギターを手にした吟遊詩人達は依然として存在していたし、 日本語のロックは、まだマイナーであった。世の中すべてに反抗する若者たちのひとりでいたかった僕は、アナーキーな連帯感を求めてそんな手作りのコンサートによく出かけた。

 オイルショックの直前であったが、近くの西成の住人が、仕事にあぶれたのか公園の木 陰で昼寝をしているのだが、それもひとりふたりなどではなくて、かなりの人数であった。 おまけに会場の中にまぎれこんできて、かわいい僕好みの女性が食べていたスナック菓子に手を差し出して譲り受けるおっさんなんかもいて、それで、僕は、大阪と天王寺と西成 を実感したのだった。

 まだ無名の上田正樹が懸命にシャウトしていた。高田渡がホーンセクションをバックにスタンダートナンバーの「私の青空」を歌ったのが最高に良かった。今、記憶に残るのはそれくらいである。

 晩飯は、通天閣真下のジャンジャン横丁の一角で喰らったのだか本当に安かった。それから、あたりをぶらついていると、叩き売りの口上のすぐ近くで、「おのれがそないゆう たんやないかっ!」とかなんとかパーンとわめくのを目の当たりにするや、生活やつれの30代後半とおぼしきおばはんがよよと路面に泣き崩れてへたりこみ、そばには鬼面のおやじ突っ起ちてその足元には、おばはんのサンダルがころりと転がっていたのだった。

 松竹新喜劇的と言うには、あまりにも生活感がリアルでブルージィな情景に遭遇して、 ふたたび僕は、大阪を実感したのだった。

 さて、コンサートはまだ1日目なのである。あしたもここにやってこなければいけない。 そこで梅田まで引き返し土曜のオールナイト興行に潜り込んだのである。

 あの頃は、趣味と実益を調和させて、土曜の夜の映画館を定宿にしていたのである。 その時、観たのが「仁義なき戦い」の第2作である「広島死闘篇」であった。幸運にもその日は、封切り日であった。第1作目は観ていなかったが、かなりの評判だったので、躊 躇せずに、ほとんど予備知識なしにこの映画と対面することになった。

 テレビ、新聞、雑 誌などのメディアによって新作映画の紹介が氾濫する昨今、映画のあらすじを既に把握させられてしまって観てしまう場合が多くて、個々の映画を予断と偏見抜きに白紙の状態か らありのままを観賞できない。しかし、僕が若かった時分、のべつまくなしに映画館に飛び込んでいた頃、まったく未知ではあるけれどとても上出来の作品に出会うことが、たまに在った。それらは、今でも色あせることはない。たとえば、スピルバーグの「激突!」、ディック・リチャーズの「男の出発」、渡辺護監督のピンク映画「性宴乱舞」などである。

 映画館にまったく足を運ばなくなった現在、テレビの深夜放送の映画がそんな思わぬ拾 い物の収穫場所となった。特に吹き替えなしの字幕放送で放映される作品に優れたものが 多い。最近では、官能の日々の残酷な結末を描いた「牧師の妻」とか、モンティパイソン 流のブラックジョークの毒気をより強烈にしたみたいな「大惨事世界大戦」などが特筆もので、午後12時以降のテレビ番組欄は、映画ファンには要チェックなのである。

 ところで、「広島死闘篇」なのであるが、予備知識なしの白紙状態で観ることができたこともあり、強烈なインパクトを受け、僕にとっては、それまでに観た日本映画のベストと言ってもよい内容であった。あれから20年以上経ってしまったが、「広島死闘篇」を超 える日本映画にはついぞ出会っていない。(鈴木清順の「けんかえれじい」は別格であるが。)

 以後「仁義なき戦い」シリーズは、全作品を繰り返し観ることになるが、「広島死闘篇」とそれ以外のシリーズ作品は様相を異にしている。「仁義なき戦い」シリーズは、基本的には、菅原文太の広能組長を狂言回し役に仕立てた壮大な集団劇であり、日本の戦後史の側面 を正確に描写したものであった。しかし「広島死闘篇」は、群衆劇がメインではなくて、戦 後の混乱期を生き延びることなく死んでゆく、ひとりの若者の物語となっている。

 北大路欣也扮する山中は、工員であったが、終戦後のあらゆる価値観が崩壊し変転してゆくなかで、そのアナーキーな鬱屈した心情を、外に向かって、いつしか「暴力」として爆発させる。そして服役。

 出所後、広島の村岡組の盃を受けてからは、呉と広島を舞台にした抗争の中で、だんだん男をあげてゆくのだが、ある日、ひとりの女性に惚れてしまった。村岡組長の姪であり戦争未亡人の靖子(梶芽衣子)である。その純真の中から、軍国少年のまま実戦に参加することなく終戦を迎えた、言わば遅れてきた青年であった山中の想いが見えてくる。

 しかし、陰謀と裏切りが織りなす泥沼に、いつしか山中も翻弄されてしまう。鉄砲玉として殺戮を繰り返しながらも、遂に逮捕され、再度服役するが、服役中の同類から陰謀の正体を教えられ、彼は絶望する。靖子に会いたい気持ちも押さえきれない。そして彼は、彼の現在を総括するために脱獄するのだ。

 だが、またしても巧みに取りなされてしまう。いつまでもどこまでも疑うことなく純粋な山中なのである。

 警察から射殺命令が発動され、全市厳戒体制の中、雨が降りしきる広島の路地裏を、拳銃 片手にあてどなく彷徨する山中。映画は、手持ちカメラによる臨場感を演出しつつ、息詰まる緊迫感を強いる。日本映画史に記憶されるべき名シーンである。

 いつしか、空家の土間に上がり込み、ひとり暗やみのなか、過ぎ来たりし日々を悔恨と無 念のうちに噛みしめる。やがて銃口に灰を詰め、自らの口元に喰わえ込み、引き金に手をかけ、自死して果てる。

 葬儀は盛大に取りおこなわれ、山中のような若者たちの累々たる屍の上で、組織は拡大し、その必然として抗争を幾度も繰り返してゆくのだった。

 山中のイメージは、その後、同じく深作欣二監督により「仁義の墓場」(主演:渡哲也) で再現されるが、そこには山中の一途な純情は存在せず、破滅と退廃が主旋律となっていた。

 強烈な映像に、一睡も出来ないまま再び天王寺公園の野外ステージに向かったのであったが、その入り口の行列にて、東京からひとりで来たと言う野郎が、なぜか慣れ慣れしく話しかけてきたのだけれど、そのいかにもと云った東京言葉のおしゃべりが、薄っぺらなどーで もよさでうんざりしてしまった。大阪天王寺に東京言葉は、まったく似合わない。

 2日目のライブは、観客のノリとは裏腹に、たそがれのイメージで充満し、僕は、孤独な気持ちに支配されていた。自分の内面とは違う方向に、時代も音楽も変わりつつあるのを、 察知してしまったんだと思う。

 あの時、暮れゆく夕闇のなかで僕は、山中のことばかり想念していたはずだ、たぶん、、、。


「赤い鳥逃げた?」、そして世紀末事件簿

 昔、むかし、あの祭りの季節が終わってしまったあとの70年代の前半、「赤い鳥逃げた?」 と云う映画を観た。

 私は、この映画の原田芳雄がとても好きだ。今でも原田芳雄は、大好きな俳優なのだが、この「赤い鳥逃げた?」のキャラクターは、とりわけ、なのである。

 なぜかと云うと、彼が劇中で弾き語りをするシーンがあって、その歌う「愛情砂漠」というのがとても印象的なのである。

 この映画の監督、藤田敏八の71年の傑作「八月の濡れた砂」でラストに流れる石川セリ歌う主題曲は、まさに70年代の導入部にふさわし名曲であったが、この「愛情砂漠」も80年代、 90年代を予感するかのような、あまりにも早く世に出てしまった名曲であると思っている。

 90年代の折り返し点を迎える今こそ、聴くにふさわしい曲だ。

 ところで、医師の夫による母子3人殺害事件と云うのを覚えておられるだろうか?        ワイドショーをにぎやかにする事件の多くは、遠い土地での出来事であったりするのだが、テレビと云うメディアによる大量の視覚的情報により、まるでそこに居合わせたかのような仮想の追体験を、まったく無自覚なままに得てしまっている。

 とりわけ、あの横浜母子3人殺害事件は、特筆ものであった。

 連日の過剰なまでの情報の洪水は、出来合いのドラマ以上に予期せざる展開を演出し、ワイド ショーにかぶりつきの主婦ならずとも、、、そう、この私でさえも、N本容疑者や殺されたA子さんの履歴を、家族や同級生や先生以上に、いや、もしかしたら当人以上に知ってしまっていたのだった。

 そして、今、浮き世のメディアの狂騒は、オウム事件一色である。

 時たま、思い出したかのように流れる、かの母子殺人事件のニュースには、なんだか懐かしささえ覚えてしまうかのようだ。そうして、この事件も例外なく、いつしか記憶の奥底に沈殿 してしまうのだろう。

 さて、あえて今回、この事件について自分自身のレベルで考察してみたい。

 この事件の根は、非常に単純なものだ。

 男が女に、もう、飽きてしまった。

 ただ、それだけのことである。

 通常、男性の場合、10代から20代を通じて、そこいらじゅうに精液を振り撒く。

 多くの場合、自らの手の内であったり、ティッシュペーパーや使い古しのタオルケットであったり、男性週刊誌のグラビア写真におもわずこぼしてみたりするのであるが、最終的には、 真実の女性の中を目指す。

 これは、本能と言ってしまうよりも、宇宙の創造たるビックバン以来の、素粒子レベルにおける正のベクトルによる膨張過程が持続するかぎり、正当で根源的な事象なのである。

 だから、理性とは全く関わりなく、やみくもに勃起するのである。

 そして、これは実に正しい。そう、宇宙が膨張過程にあるかぎり。

 則ち、煩悩は、宇宙とつながっている。これが、私の結論である。

 ほのかな恋心と言うのは、純粋なる知的営為では絶対なくて、正直に本心を暴露してしまうならば、つまりは、性的な欲求に他ならない。 故に、女性に惚れると云うことは、知性や感性を超越した宇宙的事象なのである。

 しかし、現代社会においては、「性」は完全に「制度」及び「産業」に取り込まれているから、煩悩が完結した時から(判りやすく言ってしまえば、女性をものにした時から)、ややこしい手順を踏むことになる。それが、結婚であるとか、愛情であるとか、金銭的な代価 であったりするのである。

 N容疑者は、20代後半にあって、ピークを過ぎつつあったとはいえ、知的な仮面の裏側 で、のべつまくなしに、やたらと欲情しまくっていたにちがいない。おまけに気鋭の医師ときているから、OKサインをさりげなくそよぎ出す女性は身近にたくさん存在していたこと だろう。で、ついA子さんと仲良くなってしまった。たぶん、行きがかり上のことであっただろう。

 しかし、A子さんは妊娠してしまい、否応なく彼は、結婚という制度に取り込まれてしまう。破滅への第一歩である。

 通常、多くの人たちは、この制度の中で、安住してしまう。それなりに居心地は良好だし、 いつしか連帯感が生まれて、本当のいたわりと愛情が芽生えてくるのかもしれない。

 しかし、どうにも我慢できなくなってしまう人もいる。

 瞬間的で一過性の煩悩と、持続し蓄積する感性・知性とはまったく別物であるから、時間と空間を長期にわたって共有することが不可能な相手であると確信してしまうと、もういけない。じわじわと憎悪が芽生えてくる。おまけにうら若き女性に対する欲情は、つのるばかりである。こんなはずではなかった、自分にはもっと素晴らしい未来が拓けていたはずだ、そんな 想いもあったかもしれない。

 憎悪は、ひたすら増殖し肥大化する。憎悪が、殺意に転換してしまったのは、ほんの些細なことであったのだろう。

 発端は、たとえば私が、かんしゃくを起こして、つれあいを思わず怒鳴ったり、子供をひっぱたいたりすることと、同じようなものであったかもしれない。

しかし、憎悪が大きかった分だけ、彼は一歩、闇の奥へ踏み込んでしまった。

煩悩の結果に対する感性の反乱。この事件を要約して言うとこうなる。

 

 「愛情砂漠」の一節を思い出した。

 
   人のこころは 水玉もよう
   いつもまるくて 冷たいわ
   はじけちるのは 夢ばかり
 
     愛は愛でも だましあい
     けだるいふりをしてるだけ
     いつになったら 果たし合い
 
 

注:この一文は、1995年に書いたものです。)


「冒険者たち」

 私が高校を卒業したのは昭和45年、つまり1970年のことでした。予備校生として過ごし たその年に観た映画の数々は、とりわけ私の知的好奇心を強烈に刺激し、波乱と迷い道だらけのわが20代の導火線ともなりました。

 「ウッドストック」「真夜中のカーボーイ」「イージーライダー」「明日に向かって撃て!」 「レット・イット・ビー」「マッシュ」「いちご白書」「アリスのレストラン」等々、振り 返れば私自身の思い入れにどっぷり浸かった映画の記憶ばかりです。

 さて、そんな70年の秋口のこと、ビスコンティの「地獄に堕ちた勇者ども」を観ようか、 それともフェリーニの「サティリコン」にしようかと迷いながら博多は中州まで出掛けて、 両方の映画館のスチール写真をさんざん覗きこんだ揚げ句、「サティリコン」を観ることに決めたのですが、その時の併映作品がリバイバル上映の「冒険者たち」でした。

 あの偉大なるF・フェリーニ監督の話題の最新作を観ることが第一の目的であったので、 期待もせず、何の予備知識も無いままに観てしまった、このロベール・アンリコ監督のフランス映画「冒険者たち」は、しかしながら、深く胸に染み込んできて、ちょうど20才前後 の感性にだけ突き刺さってくるような、実に素晴らしい映画だったのです。

 映画をいっぱい観ていると、こういう幸運にしばしば巡り遭うことがあります。だから映 画が、病み付きになってしまったりするワケなのです。

 さて、この「冒険者たち」は、パリを舞台に始まります。リノ・バンチェラ演じるエンジニア崩れのローランドと、アクロバット飛行機乗りのマヌー(アラン・ドロン)は、親子ほども年が離れているけれど、仲の良い相棒で、それぞれ野心を持っています。ローランドは、自分の造ったレーシングカーで速度記録を出すこと、マヌーは、飛行機でパリの凱旋門をくぐり抜けて、ひと山当てることがそれです。

 2人の男は、ある日レティシア(ジョアンナ・シムカス)と言う美しい娘に出会います。 芸術家志望のレティシアは、鉄のガラクタを組み合わせたオブジェを製作していて、その材料を捜しにローランドのガレージにやって来たのです。彼女もまた、今度開催する個展で世間に認められたいと願っていました。

 自分の夢を実現するための試みが、それぞれに失敗し挫折していく中で、ふたりは、レティシアに好意を抱いていくようになります。

 そして、失意をバネに、偶然知ったアフリカの海底に眠る財宝の話を信じて、3人は南の海へと、冒険の旅に出かけます。無邪気に戯れ、幸福な日々を過ごす彼ら、、。

 男性2人のレティシアに対する想いは深まりながらも、男同士の友情は、揺るぎません。 私は、アラン・ドロンと云うキャラクターが好きではありませんが、この辺りのシーンで登 場する、無精ヒゲを無造作に伸ばしたドロンは、嫌いではありません。予備校生という、なんとはなしに心理的な重圧を感じる日々を送りながら、スクリーンに展開する陽光と解放感 が、とてもまぶしかった。

 夕陽が美しいある日、ふたりきりになったローランド(バンチェラ)とレティシアは、愛 を語ります。応えて「私も、あなたを愛している。」、そう言ってしまう彼女の目は、とてもきれいです。きれいな目をした女性は、本当に美しい。

 私も映画の2人の野郎どもと同じく、ぞっこんレティシアに惚れ込んでしまいました。

 と、思ったのも束の間、ある日突然に、かの財宝を狙っていたギャングが、我らが3人の船を襲います。

 流れ弾に当たって死んでしまうレティシア、、。そして、悲しみのうちに深く海中に葬られる彼女、、。

 やがて財宝を手中に納めるものの、レティシアへの想いは断ち難く、ローランドは、彼女が欲していた孤島を手に入れ、ストイックなまでに彼女に殉ずる日々を送るのです。ときどき訪ねてくるマヌー(ドロン)と、その島に渡ってレティシアの思い出を2人で噛みしめていた時、再び、かの一味に襲撃されそして撃退しますが、マヌーも銃弾に倒れてしまいます。

 苦しみながら息も絶え絶えのマヌーを抱き、「レティシアは、お前を愛していたんだよ。」 と嘘をつくローランド。それを聞いて、安らかに微笑みながら死んでゆくマヌー。ふたりと島が、海の波間に、小さく遠ざかりながら映画は終わります。

 忘れられないテーマ音楽のあの名曲と共に、いつまでも私の中で、この映画は輝いていま す。19才だったあの時だけの、この映画との幸福な出会いだったのでしょうか。

 ロマンテ ィシズムとは何かと、人に問われても、私は、何やら気恥ずかしくて、答えることなど出来ません。けれども、「冒険者たち」には、それが全然恥ずかしくないレベルで詰まっていることだけは、確かです。

 それから、私の個人的な所感を申せば、なによりもレティシアが素敵です。この映画に対する想い入れは、即ちレティシア=ジョアンナ・シムカスに対する想い入れなのかもしれません。レティシアは、今でも、私にとって永遠の女性なのですから。


 

 「アデルの恋の物語」

 私が、まだ若い頃、映画がたまらなく好きで、こづかいは、映画館の暗闇に浮かび上がるスクリーンへと、その大半が吸い込まれてしまったのですが、若い時分に観た映画と言うものは、その感銘と共に鮮明な記憶として刻印されるもので、なにかの拍子に、たとえば、ぼんやりと窓の外側の世界を眺めている時などにサーッと甦えってきて、素直に手当たり次第に何もかもに感動していたあの頃の自分とは、既に遠く隔たってしまった今の自分とが交錯して、そこはかとなくうら悲しくもあり、とにかくも映画は、佳きものなのであります。

 そんな訳で、おじさんになってしまってすでに久しい私自身の映画体験から独断と偏見により、「愛」について考えさせられた一編を、ピックアップしてみようと試みた次第です。今回取り上げる作品は、フランソワ・トリュフォー監督のフランス映画「アデルの恋の物語」です。 主演は、当時まだ20才のイザベル・アジャーニ。19世紀中頃のフランスでの、実話に基づいたお話です。

  文豪ビクトル・ユーゴーの娘アデルは、ある仏軍将校に恋をします。初恋でした。

 しかし男はつれないのです。つれなくされると、つれないほどに、更に更に募りゆく恋心であるのは、私にはよく理解できます。

  初恋と言うものは、おおむね片想いであり、成就されない分、ただひたすら心の中で純粋培養され、いつしか美しい思い出として刻印されてしまうものです。

 しかしアデルは、あきらめない。ひたすらひたむきに将校を追いかけるのです。

 当時のフランスには植民地があり、仏軍将校である初恋の彼は、世界の各地に赴任するのですが、アデルは、執念で追うのです。

 「恋」に取り憑かれ、異境の果てへと男を追いかけてゆくうちに、いつしか「想い」は「情念」となり、アデルの内だけで、すさまじいほどに純粋化してゆきます。

 そして遂に彼女は、心のバランスを失ってしまうのです。

 いや、あらゆる邪念をすべて捨て去り、ただ初恋の彼を愛すること、そのただ一点においてのみ思考し、生きる地点に到達したと云うべきでしょうか。

 ボロボロになってしまった衣服をまとい、異境の地の街頭を虚ろな目をして裸足のまま、初恋の彼を追い求めてさまよい歩くアデル。

 偶然にも、そう、映画的偶然とでも云いましょうか、くだんの彼が彼女を見つけ、思わず詰め寄ります。

 おお、アデル、、、こんなになってしまって、なんてことを、、、、、、。

 男には悔恨の念がどっと押し寄せて来たのかもしれません。

 しかしアデルには、現実の彼の姿は、もう、見えないのです。

 彼の名前をただつぶやきながら遠くを見つめ、アデルに取りすがろうとするその彼の目前をゆっくりと、立ち去ってゆく彼女をとらえて、この映画は終わります。

 純粋に人を(異性を)愛することとは、何か。若い時分ほどではありませんが、今でも時々、考えることがあります。そんな時、いつも思い出すのがこの映画です。

 アデルは、現実を突き抜けてまで、片想いに殉じてしまいましたが、彼女ほどではなくとも、ほのかに想いを寄せる恋心、つまり片想いと云うものは、少なくともその当初においては、初々しくも純粋なんだなと思います。

 それが初恋ならば、なおいっそうのことでしょう。

追記:

 記憶と云うのは、片想いに似て、いつしか時間の経過とともに真実とは違う色合いに描き換えられるようです。

 この一文を書き終えたあとに、この映画のシナリオを改めて読み直してみると、また違った印象なのであります。

 その分、私自身の思い入れが在るのでしょうか、、、、。


 【 フル・メタル・ジャケット 】

 土曜の夜,仕事の後,家に帰らずに映画館に直行した。

 スタンリー・キュブリックの7年ぶりの新作「フル・メタル・ジャケット」の先行オールナイト上映があるからである。

 映画にも鮮度がある。

 映画は,映画として,映画そのものを純粋に賞味しなければいけない。

 メディアより垂れ流される『解説』やら『批評』にさんざん毒され,なんとなくもう観てしまった気分で,すでに知ってしまったストーリーを映像で後追いする愚を犯してはいけない。

 キュブリックの新作であること,ベトナム戦争の映画であるらしいこと。これだけわかれば充分だ。もうあとは必要ない。

 この映画について次々にたち現われる情報からことごとく目を反らし,ひたすら公開を待ったのだった。

 陽気なカントリー・ソングが流れる。 映画が始まったのだった。

 外界から隔絶された暗やみの中で体験する未知の世界。

 闇の空間から抜け出して現実に戻っても,私はそれ以前の私ではもう,ない。

 だから,すべての知覚を全開にして受け止めよう。

 次々に頭髪を坊主頭に刈りとられる若者たち。

 入隊のための割礼の儀式。 海兵隊へようこそ。

 ありとあらゆる侮辱語をまくしたてる強烈な教官がいる。

 性と排せつ物についての思い切り下品な言い回しがそのすべてである。

 全否定される自我。

 しかし,徐々に適応してゆく若者たち。

 要領の悪い「デブ」=「ふとっちょ」がいる。

 動作のことごとくがあの教官にヤリ玉にあげられる。しまいには彼の不始末が彼自身ではなく,彼以外の全員に対して罰として課せられる。

 夜,全員から受けるリンチ。

 閉じられた空間内での人間疎外は,「ふとっちょ」をまるで『シャイニング』でのジャック・ニコルスンみたいな目付きに変えてしまった。

 小銃に向かってブツブツつぶやく独りごと。

 劇中において,『フル・メタル・ジャケット』と言う言葉がたった一回だけ放たれ,説明される。

 訓練期間卒業の夜,トイレのなか,便座に腰掛け,ひとり小銃をいじる「ふとっちょ」が,当番(そういやコイツが主人公だったっけ)に発見され,実弾を込める手元を,なんだそれはと問われて,日く『貫通弾装(フルメタルジャケット)さ、、。』

 騒ぎを聞きつけやって来た教官を撃ち抜き,自ら銃口を喰わえ頭をブチ抜く「ふとっちょ」。

 限度を超えた人間疎外の当然の帰結だ。

 ナンシー・シナトラの66年頃のヒット曲『憎いあなた』が流れて舞台はいきなりベトナムになる。

 海兵隊の新聞『スターズ・アンド・ストライプス』の従軍記者として御当地にいる主人公。

 プレハブの編集室の正面には,スヌーピーと『First to Go,Last to Know』(うまく訳せないけどなんとなくワカるでしょ。)と大書された赤い横断幕。

 そしてすぐテト攻勢。つまり1968年の1月ということだ。        

 戦闘シーンはあっさりしている。すなわちスペクタクルではない。

 飛び交うヘリコプター。幾多のベトナム映画と異なり,イロコイスではなくてシコルスキーの古い型のもの一種類だけである。

 映画の本質とは関係ないが,ちょっと物足りない思いは,私だけだろうか。

 私には,キュブリック信者としての修行がまだ足りないのかもしれない。

 サム・ザ・シャム&ファラオズの65年の大ヒット,『ウーリー・ブリ』にかぶさって前線で小休止するくたびれ果てた兵隊たち。

 なんでもかんでもFUCKを接頭詞に持ってくるのは,いかにもってカンジだな。

 そしてあからさまな黒人差別。

 最後の戦闘シーンは,言わばベトナム戦争の本質を簡潔かつ的確に表現している。

 米軍の乱れた指揮系統。

 見えない敵に向かって一斉にめくら撃ちしてしまう恐怖心。

 着実にひとりひとり狙い撃ちする解放軍兵士。

 たったひとりの狙撃兵にきりきり舞いする小隊。

 まだ子供でしかも女性のその狙撃兵を撃って自慢し,はしゃぎ回る小心な奴。

 瀕死の彼女をなんとかしてあげねばと思いつつ,とどめの一発を撃つ主人公。 

 戦火が夜空を焦がすなか,ミッキー・マウスのテーマを皆で合唱しながら進軍するうちに映画は終わる。

 そして,黒地に白文字でキャスト&スタッフが延々と続く。

 バックの曲は,ストーンズの『黒くぬれ』だ。

 まだこの映画の感想を整理しきれないままに,ふと思った。

 日本でベトナム戦争の映画を作るとしたら、 テーマ曲は、ジャックスの『からっぽの世界』に決まりだな、って。

 

注釈:この一文は、私の記憶では、1987年頃に、当時愛用のPC8801mkIIでJET8801Aと言う上出来のワープロソフトを使って書いたものです。


「キャリー」

 その昔、もう17,8年も前になるでしょうか「オカルト映画ブーム」と云うものがありました。「エクソシスト」や「オーメン」を筆頭に、やたらおどろおどろしくて「悪魔の、、」で始まるタイトルの作品が、次々と公開されたものでした。

 超能力少女の悲劇的結末の物語「キャリー」(ブライアン・デ・パルマ監督1976年)も、その「オカルト映画」の流れの中で一般的に解釈されがちですが、そうではありません。内向的な少女が、異性への愛に目覚めることによって、「社会」に順応あるいは適合していこうと努力してゆく過程の果てに噛みしめる「疎外感」と「絶望」とを、極限的に描き出してみせた映画なのです。

 アメリカの典型的な地方都市のハイスクールを舞台にして、この物語の前半は、学園でのエピソードの積み重ねを主体に、なかなかに小気味良く展開します。私は「アメリカン・グラフィティ」を思い出してしまいました。しかしながら、物語の主旋律である暗い部分もまた、同時進行してゆきます。

 母親と二人暮らしの高校生キャリーは、いつも伏し目がちで、女性的  ないわゆる「色気」と云ったものと全く無縁で、おまけに無口で内向的な性格の為か「いじめ」の対象者として、クラス中の標的にされていました。その上、偏執狂的な倫理観に凝り固まった母親からは、たった一度の過ちから生まれた不実の子であるとしてことあるごとに、ののしられ忌み嫌われていたのです。

 未成年者が、社会生活を送る上での主要な基盤である「学校」と「家庭」の両方から疎外され続けるのは、実に辛いことです。人から嫌われた記憶ばかりが多くてもどかしい私には、キャリーの境遇は他人ごとではなく、すこしずつ感情移入しながら、いつしかキャリーに自己同化してしまいました。

 また、「いじめ」について語るならば、上昇志向が支配的な社会において、人間がより良き自己を確認し続ける為には、常に「弱者」=「自分より目下の者」を求める、と云うのがもっとも簡単で身近な方法なのですが、それは我が日本だけの事情ではけっして無く、アメリカのハイスクールでも同様と言う訳です。

 しかしキャリーには、不思議な力が備わっていました。テレキネシス=念力によって物体を意のままに動かす超能力がそれです。初めのうちは彼女自身にも訳がわからない有様であったのですが、次第に「力」に目覚めてゆきます。

 いや、他者に対する憎悪と絶望がその未知の力を補強し、顕在化させたと云うべきでしょうか。

 キャリーに対するいじめは、当初においては単なるからかい程度であったのが、段々と手の込んだ悪質なものにエスカレートしてゆきます。恒例のダンスパーティが、高校の体育館であるのですが、そこでは人気投票がおこなわれて、一番得票を集めた人気者がパーティ・クイーンとして皆の壇上で脚光を浴び、賞賛されるのです。 あろうことか悪ガキたちは、示し合わせた八百長でキャリーをパーティ・クイーンにしてしまい、そこで或るとどめの仕掛けをたくらんで、彼女に大恥をかかせて、更に更に彼女をみんなの笑いものにしようと云うのです。

 こうして、ラストのクライマックスへの伏線は、キャリーへの感情移入をいよいよ強固なものにしながら、着々と張りめぐらされてゆきます。

 さて、ダンス・パーティは、ステディなカップルには楽しい行事なのですが、異性にもまったく相手にされない彼女には、無縁のことです。しかし、日頃の反省をちょっぴり込めて、キャリーに同情的なクラスメイトのひとりが、自分の彼氏に、今度のパーティには自分は行かないからキャリーを誘ってあげてと説得します。くだんの彼氏は、あまり気乗りしないのですが、やむなく了承してキャリーを誘います。

 ハンサムな男性からダンスパーティのパートナーを申し込まれると云う、今まで経験したことがない事態に、彼女は戸惑いを隠しきれないのですが、ほのかな恋心の予感にこころときめくのは、当然の事でしょう。暗かった彼女の表情も、なにかしら、いじらしく解きほぐれてくるように見えてくるのです。

 キャリーに扮するシシー・スペイセクと云う女優は、本当に上手い役者さんでして、存在感の希薄な少し暗いめで全く美人ではない少女を、実にリアルに演じながら、次第に春めいた色香をそよぎ出すさまを絶妙に表現してゆきます。

 パーティの当日となりました。くだんの彼がキャリーの自宅に迎えに来ます。母親は、パーティに行くことを猛烈に反対するのですが、例の「力」で、ねじ伏せられてしまいます。

 会場では、彼女をいたぶる為の最悪の仕掛が準備されつつあります。ブタの血がいっぱいに入ったバケツを天井に吊して、パーティ・クイーンとして壇上に立つ彼女に、その血を頭から浴びせかけるのです。

 なんにも知らないキャリーは、ときめきの中で美しく輝き始めます。まるで、夢と希望が内面から女性を美しく変身させることを証明するかのようです。そして、悪巧みの筋書きどうりに彼女は、パーティ・クイーンに選定されて壇上に立ち王冠を捧げられ「祝福」されるのです。

 信じられない表情は、いつしか喜びに満ちあふれ、今まで見せたことの無かった笑みをたたえて、まごうことなき美女へと変身してゆきます。余談ではありますが、私が映画館にてこの映画を観た時ですが、この シーンのあたりでは、館内の若い女性客のすすり泣きの声があちこちから聞こえてきたのでした。皆にいじめられ精彩に欠ける娘が、次第に美しく変身してゆくさまが、彼女たちの琴線に触れたのでしょうか。もちろん私も、キャリーが美しく変貌するさまに、口をぽっかり開けて見とれていたのですが、、、、。

 物語もここで終わるならば、現代版シンデレラ物語か、みにくいアヒルの子が実は美しい白鳥であったと云う、例の寓話のパターンとなったことでしょう。しかし、観客の誰もがキャリーってホントは、こんなにきれいだったんだなぁと感じたその直後から、悲劇的クライマックスへと一気に突き進むのです。今までの人生の中で最高の喜びに包まれて美しく輝くキャリーに、突然、おぞましくも仕掛けられたブタの血が浴びせかけられます。頭からつま先までせっかくのドレスもろとも、血でずぶ濡れになってしまうのです。

 あまりのことに狼狽して、周囲を見渡すと皆がそんな自分を眺めて、あざけ笑っているではないか、、、、。

 恐怖にゆがむ顔は、次第に怒りの形相になり、あの見えない「力」を全面的に引き出してしまうことになってしまいます。すべてを悟った彼女は、会場の出入り口を強大な超能力で封じ、皆に復讐を開始します。彼女の意志によって自在に動き回る消防栓のホースからの水圧になぎ倒され、烈火に逃げまどう人々を閉じこめたまま、彼女は立ち去り、体育館は、焼け落ちてしまうのです。

 このクライマックスは、スローモーションとマルチスクリーンで展開し、異様な緊迫感を観るものに与えます。映画大好き人間には、堪えられないシーンなのですが、ブライアン・デ・パルマ監督は、あのケビン・コスナー主演の「アンタッチャブル」においても、スローモーション・シーンを実に効果的に使っておりました。ギャング襲撃の巻添えで、赤ん坊を乗せたままの乳母車が階段からころがり落ちる場面がそれですが、これは歴史的傑作映画「戦艦ポチョムキン」のエピソードを再現したものです。

 終局、家にたどり着いた彼女は、待ち受けていた母親を「処刑」し、自らもまた家ごと地中に葬り去ってしまうのでした。

 そして、エンドマークが出る直前に、ホラー映画的なオチがあって、思わず悲鳴を上げてしまう観客がいたりなんかするワケですが、単なる娯楽映画と云う枠組を超えて、私にとっては、忘れられない映画のひとつとなりました。

 

・こだわりの映画人物学「キャリー」篇:

☆スティーブン・キング(原作者):「キャリー」の映画化で広く知られるようになりました。これ以後、彼の小説はことごとく映画化され、しかも大ヒットします。有名なところでは「シャイニング」「スタンド・バイ・ミー」「ペット・セメタリー」「ミザリー」と云ったところでしょうか。他にも沢山あり、大きなビデオ・レンタル屋にいけば彼の原作物は10本近く在るはずです。ハズレが少ないのでぜひご一見のほどを。若い女性に一番の人気は「スタンド・バイ・ミー」ですが、私が好きなのは「クリープ・ショー」です。

☆ブライアン・デ・パルマ(監督): 多少ヒッチコックに傾倒気味なのは、映像テクニシャンの証であります。(「殺しのドレス」=「サイコ」、「ボディ・ダブル」=「裏窓」&「めまい」)前述しましたが「アンタッチャブル」ではエイゼンシュタインのパクリもやっておりました。彼の作品のうち、「キャリー」を除いて私が一番気に入っているのは 「ファントム・オブ・パラダイス」です。私のような、女性に振られた記憶のみ多き悲しいロック音楽ファンには、涙なくしては観れない名作なのです。また、いわゆる「オペラの怪人」のリメイク物では、最高の一作であると信じております。

☆シシー・スペイセク(キャリー役):うだつの上がらない少女 → 美しく変身 → 怒りにみちた悪魔の形相、と七変化の怪演で強烈にその存在を知らしめた演技派女優ですが、「歌 え!ロレッタ愛のために」では、実話を元に米国版美空ひばり=カント  リーソングの女王を演じてアカデミー主演女優賞に輝きました。 「ミッシング」での、悲しみを秘めながらも、夫を抹殺した権力を追 求してゆく役柄が、私はとても好きです。

☆パイパー・ローリー(キャリーの母親役):初代「ハスラー」で、自ら命を断ってしまうポール・ニューマンの情婦役が、とても印象に残っています。あの「ツイン・ピークス」にも重要な役柄で出ておりますね。

☆ナンシー・アレン(キャリーいじめのリーダー役):「キャリー」では、なんとも憎たらしい意地悪女を演じていますが、デ・パルマ監督の他作品「殺しのドレス」や「ミッドナイト・クロス」では、実にセクシーなイイおんなぶりで、私はすっかりファンになってしまいました。しかし「ロボコップ」では、やや小太り気味のオバサンになっていたのでガッカリしました。「ロボコップ2」では、少し髪型 を変えてやや美しさを取り戻したかに見えるのは、こっちの目が慣れたせいでしょうか。ところで彼女、実生活では、デ・パルマ監督の奥さんなのです。

☆ジョン・トラボルタ(ナンシー・アレンのボーイフレンド役):ナンシー・アレンと一緒に悪さを仕組む、あまり立派とは云えない役柄ではありましたが、この直後に主演した「サタデー・ナイト・フィーバー」で一気に大スターになったのは、皆さんも御存知の通りであります。しばらく鳴りを潜めていましたが、タランティーノ監督の「パルプフィクション」で復活し、悪人役がさまになるようになりました。

☆エイミー・アービング(キャリーに同情的なクラスメイト役):体育館の惨劇から免れた唯一の同級生も、ラストの落ちの引立て役であっただけなのかもしれません。テーマが「キャリー」の続編的な「フューリー」(デ・パルマ)に主役で出てました。あのスティーブン・スピルバーグ監督と結婚し、そして離婚しました。 


「思い出し映画ノート」

 映画館で映画を観なくなって、もう久しい。   やっぱり映画は映画館の暗闇で、目を凝らして観るのが正しい。   むかし観た思い出深い映画について、今のうちに書きとめておきたい。
 

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